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| 小泉首相による靖国神社公式参拝に対し、中国や韓国だけでなく、自民党の中からも疑問を投げかける声が増しています。 小泉首相はジャカルタで行われたアジア・アフリカ会議では「わが国はかつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々にたいして多大の損害と苦痛を与えた。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みます」とのべ、戦争への日本政府の反省の立場を改めて示しました。 しかし、その立場からの行動とは到底理解されない、むしろ裏切る典型だといわれている靖国神社への参拝を、歴代首相の中でただひとり、4回も繰り返しています。 衆議院議長が歴代の首相経験者と会合し、「首相の参拝は慎重の上にも慎重に」と言う考えで一致し7日に議長がじきじきに伝え、中曽根元首相も都内の講演で「個人的信条よりも国家利益を考えてやめるべきだ」と主張し、日本遺族会の古賀・自民党元幹事長も「内政干渉だというだけですむのか」とのべました。首相の足元から「参拝やめよ」の声が広がっています。 靖国神社は、戦争中は国民を戦争に動員する役割を担った神社でした。 戦争で死んだら靖国神社で神様に祀られる、それが最大の光栄だといわれました。戦場に行くもの同士で、九段で会おうが合言葉になっていた、そういう性格を持っていた場所で、その神社への参拝を戦争への反省の場とすること自体道理にあわないことではないでしょうか。 さらに重大問題なのは、靖国神社には戦争を起こした罪を問われたA級戦犯が、戦争の犠牲者として合祀されたことです。 1978年10月に国会も国民も知らないうちに強行されていたことで、問題の性格を大きく変えたのです。 靖国神社がどういう立場でこの人たちを祀っているかというと、「戦後日本と戦った連合軍の形ばかりの裁判によって一方的に戦争犯罪人という濡れ衣を着せられ、むざんにも命をたたれた方々を昭和殉難者として神様としてお祀りしている」というのです。 つまり首相が公式参拝することは合祀された個々の人々への追悼の是非の問題ではなく、日本政府が戦争犯罪そのものを否定する立場に立つという意味を持つのではないでしょうか。 私もこのほど行ってきましたが、この神社自体が「日本のやった戦争は正しい戦争」論の最大のセンターになっていると感じました。 神社の展示やビデオによると、日本の戦争は明治の日清戦争から大東亜戦争まですべてが近代国家成立のため、わが国の自存自衛のため、世界的にみれば皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった戦いだと説明しています。これは「日本の戦争は正しかった」ということそのものです。 ビデオとし販売されている、ドキュメント映画「私たちは忘れない」も観ました。日本のやった戦争の全過程を「欧米諸国の植民地勢力に対するアジアを代表しての」戦争という立場から描き出し、最後に戦争責任の問題で「日本を侵略国と断罪した東京裁判の不当性を暴き,刑場の露と消えた戦犯の無念をふりかえる」と語って終わっています。 不破議長は講演会で「この神社は特定の政治目的を持った運動体なのです。その政治目的とは、「日本の戦争はただしかった」と言う立場を、日本の国民に吹き込むことであって、その依って立つ精神はヨーロッパでいえばネオ・ナチの精神に匹敵する」と指摘しました。 小泉首相は衆議院予算委員会での答弁で、自分は戦争を正当化する靖国神社の立場に組するものではない、という立場を明らかにしました。これが本当ならば靖国神社の異常な戦争観がはっきりした以上、きっぱりやめることが首相としてとるべき政治的判断ではないでしょうか。 |
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