日々の生活のなかで起こったことや感じたこと、考えたことなど、思いつくままに書いた「雑感」集です。このページは随時更新します。
八王子に眠る須田朱八郎さんの33回忌に参列して。
(2002. 4)
戦後、八王子共立診療所の創設に参加し、民医連の初代会長として16年間も活躍した八王子出身の医師・須田朱八郎さんの33回忌のつどいが、4月20日、「先生をしのぶ会」の人たちによって行われました。私も本立寺の墓前での法要と寺内でのつどいに参加し、先生ゆかりの方々と人柄、業績を振り返ることができました。
須田先生は1929年、旧制静岡高校へ入学。早くから医師をめざしますが、在学中の社会科学研究会などの活動で何度も逮捕され、放校後も当時は非合法だった全協の労働運動で活躍した人です。治安維持法違反で逮捕・投獄されても節を曲げず、保護観察の身で医師の道を志します。戦後、日本共産党に入党。民主的医療運動の先頭に立ちます。つどいでは、患者にはやさしく、医療運動には骨身を惜しまなかった先生のことが出席者からこもごも語られ、ご健在の若枝夫人(90歳)からも、先生との思い出の数々が披露されました。胸が熱くなるお話でした。
須田先生が「再生不良貧血」で倒れたのは57歳でした。「市民とのお別れ会」には、1500人が参列したそうです。須田先生が初代会長を努められた民医連は、いま小泉内閣の医療制度改悪、国民負担増反対の先頭に立っています。須田さんはそうした国民のたたかいの基礎を作った人ではないかと思います。死因でもわかるとおり、先生は結核医として長年、レントゲンを使用し、そのために命を縮めました。被爆覚悟で患者優先の治療をしていたとのことです。1945年に日本共産党に入党し、1949年にはレッドパージによって職場を追われました。
以後八王子共立診療所の創設、赤羽病院、長谷川相互病院長など民主医療機関の診療および国民の健康と医療を守る諸運動に貢献してきました。57歳という短い生涯ですが、その業績は改めて深く胸をうつものです。八王子にはこのようにすばらしい歴史を刻まれた先輩がいることをぜひ多くの方々にも知っていただきたいと思いました。そして、国民の命を守るたたかい、平和と民主主義を守るたたかいを受け継いで努力することが大事であることを痛感しました。